↓こういう記事が載りました。
朝日新聞デジタル 2024年11月24日
「都内の小学校で水田作り 校長が子どもたちに伝えたい「お米」の魅力」
葛飾区立花の木小学校で、水田をつくり稲を栽培したのです。
「今年は夏が長く、8月中旬にたくさん稲が実ったのですが、スズメにだいぶ食べられてしまい、収穫も減りました。」・・・「 水田ができてからは、それまで見かけなかった生き物がたくさん学校に来るようになりました。イトトンボやギンヤンマ、イナゴ、バッタ、スズメ――。都会の子どもたちはなかなか自然と触れ合えないので、生物多様性を知る貴重な機会になっています。」・・・
スズメにだいぶ食べられちゃった、でもたくさんの生き物との触れ合いもできた。
こういう話なんですが。生態系というものは複雑に相互作用をしあっていて、チトやそっとで全貌が分かるわけではない。
私の年齢ですと、1960年前後の毛沢東時代の中国での話を思い出してしまいます。
スズメが農作物を食い荒らす、というので、国民的スズメ撲滅運動 が行われたんですね。
↓Wikiから
四害駆除運動
四害駆除運動(簡体字: 除四害, 拼音: Chú Sì Hài)とは、1958年から1962年にかけて実施された毛沢東が主導する中華人民共和国の大躍進政策において最初にとられた行動の1つである。 駆除の対象となった四害とは、すなわち、ネズミ・ハエ・蚊・スズメのことである。スズメ絶滅の試みは、スズメ打倒運動(簡体字中国語: 打麻雀运动, 拼音: Dǎ Máquè Yùndòng)またはスズメ撲滅運動(簡体字中国語: 消灭麻雀运动, 拼音: Xiāomiè Máquè Yùndòng)とも呼ばれ、深刻な生態系の不均衡とその結果としての中華人民共和国大飢饉をもたらした。1960年、毛沢東はスズメ撲滅運動を終わらせ、第4の焦点をトコジラミに変更した。運動・・・これらの大量攻撃によってスズメの個体数は減少し、絶滅寸前まで追い込まれた。・・・・・・影響運動中は、転落や銃の誤射による事故が多発し、仕掛けられた毒入りの餌により多くの他の動物が巻き添えで死んだ[10]。チベットでは、チベット仏教の教えから殺戮を拒み、監禁・自死を選ぶラマ僧が現れた[6]。・・・撲滅運動後のコメの収穫量は、増加するどころか、大幅に減少した[6][13]。スズメを駆除することで生態バランスが崩れ、天敵のいなくなった虫が農作物を荒らすことに気づいた毛は、スズメ撲滅運動の停止を命じて今度は「益鳥」として"名誉回復"し、対象をトコジラミに変更した[1]。しかし、もはや手遅れであった。それらを食べるスズメがほとんどいなくなったため、個体数が急増したワタリバッタは国中を襲い、大躍進政策によってすでに引き起こされた、広範囲にわたる森林伐採や毒物や農薬の誤用などの生態学的問題をますます悪化させた[13]。さらに人民公社が野生動物を食用として捕まえるためにデメトン・ジメドンや劇薬を使用したために(劇薬で汚染された食物は、中毒を引き起こした)本来の目的である殺虫剤としての在庫を欠乏させており、畑はズイムシ・ヨコバイ・ワタキバガ・ハダニなどの害虫の天国となったのである[10]。生態学的な不均衡は、同じく大躍進政策によって引き起こされ、1500万から4500万人が飢餓で亡くなった中華人民共和国大飢饉をさらに悪化させたと考えられている[14][15]。中国政府は最終的に、ソビエト連邦から25万羽のスズメを輸入して、個体数を補充する羽目になった[16]。
スズメを撲滅したら、生態系のバランスが崩れてしまった。結果的にソ連から「25万羽のスズメを輸入」するはめになった、というのです。
1960年には私は12歳。詳細な内容までは分かりませんでしたが、なんだかとんでもないことが起こってるんだな、と感じたものです。
人間は複雑な生態系の全体像、をまとめて一挙に理解してしまうことはできない。で、一部分だけ見て、自分だけの都合で生態系に干渉すると、生態系全体がバランスを崩す、ということなんですね。
小学校の児童たちに、そういう話まである程度してあげられたらよかったですね。
でも、自分たちが体験したことの大切さは、きっと身に沁みたんじゃないかな。
生態系という複雑なシステムに畏敬をもって接する人になって下さい。
「よい」と「わるい」に分けて、「わるいもの」を除去しようとする二元論的な行動は、全体を壊してしまうことがある、あるいは多い。
「善玉・悪玉」論にご注意ください。
コメント